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「人

 生まれいずる

               星」

 −第1章− 

 <第4話>















































































 いつもはアミュタに守られている小さい少女がこんなに頼もしく見えたのは初めてだ。険しくなっていく道なき道をその小さな手で引いてくれる。

「あっちだよ」

身ごもる前なら、その指差した先の、上ったり下ったりの岩場も難なく行けただろう。だが、今のンナンは体力の限界だった。
いくらハルパが懸命に引っ張ってくれても体が持ち上がらない。


 不意に後ろから腰に手を当てられると、そのまま押し上げられた。アミュタの手だ。あの川での出来事以来、触れることすらなかった手がンナンのために力を貸してくれている。
アミュタに力を借りるなんて、それ以前だってなかったのに。


 今、仲間は二つに割れて争い、夫も長たちもどうなったか分からない。なのにンナンの心は不思議と束の間の穏やかさに満たされ、勇気が奮い起こされるのを感じていた。


 二人に案内され洞穴に着いたときには、正直驚きの声をあげた。ここらにある洞穴は全部知っていると思っていたからだ。
幸いなことに他の獣が使っている様子もない。
早速火を起こそうとして思いとどまる。
煙を昇らせたら、夫や長たちに知らせることもできるが、敵になってしまった連中にも見つかってしまうかもしれない。



 日が沈むのを待って手早く火をつけ、煙で中をいぶす。
暗闇で火が目印になるかも知れず、すぐに消してしまわなければならなかった。月もなくわずかな星明りが頼りの洞穴は、小さめだったが居心地は悪くない。何よりこの数日のそわそわした気分が、なぜかここではずっと落ち着いたものになっていた。

だがそれを待っていたかのように、今度は下腹に妙な痛みがおき始めた。腹を壊したときに似ている気もするが、それよりも重く強い。それが鎮まったかと思うと、またやってきて、その度に少しずつ痛みが増していく。ンナンはアミュタの母の話を思い出していた。
海の波のように繰り返し腹に痛みがやってきたら、もうすぐ子供が産まれると。


 痛みをこらえようと、知らずにうめき声が出ていたようだ。
ハルパがすぐ側で一言も話さず寄り添っている。
もう笑いかけて安心させてやることもできない。
腹を抱えて、立って洞穴の中を動き回ったり、寝転がったりを繰り返す。気を紛らわすために壁に手をついて体を支えてそらし、ねじってみる。

 ハルパは耐えかねたように立ち上がった。

「誰か、探して呼んでくる!」

「……!」


 ンナンが声を振り絞って止めるよりも早く、その肩をアミュタが掴んだ。暗闇の中で異様に光って見える両目もやはり緊張していた。
だが。

「放して。ンナンが死んじゃうよ!」


 二人を見比べるアミュタの目も珍しく揺れている。


 ついにンナンが押さえた腹の下で水を零したような音がすると、ハルパは泣きそうになった。

 
 その体を、アミュタが迷いを吹っ切る様に洞穴の中に押し込める。


 ンナンの切れ切れの息とは違う、獣達の飢えた息遣いが近づいてくる。ここへ来る途中で足を伝い落ちたアミュタの体液のにおいが、鋭い鼻と牙を持つものたちを引き寄せてしまったらしい。


 だが余りにも数が多い。どうして?




 狩りではより弱いものを、大人よりも子供を、足が速いものよりも遅いものを狙う。四本足の狩りも、言葉を操るものの狩りも健康なものよりも傷ついたものを狙うのは同じだ。


 長達に逆らって戦い、互いに傷だらけになったもの達も今夜は危険なはずだった。どちらも数人の死人を出し、深手を負って引き上げていたからだ。

だが、アミュタとンナンを葦舟に乗せようとするもの達は傷を負ってなお、取り付かれたように目をぎらつかせていた。
火を囲んで痛みを麻痺させる為の草を食み、流れる血で体に模様を描いていく。寒さも感じず、いつもなら恐れる視界を横切る影に、奇声を発し体を揺する。


 その異様な興奮が伝わるのか、獣達も血のにおいの漂う彼らを襲っては来ない。


 興奮と薬草で鋭敏になった感覚は眠っていた内なる獣を呼び覚ます。彼らは側を素通りしていく四本足の獣達についていくように動き始めた。

『木々は枯れ、大地は涸れ、獣も我らも乾いている。全ての命があの二人を海へ送り、川の恵みをもたらすことを望んでいる。探せ、探せ、あの二人を。精霊に連なるあの娘達を!』


 暗闇に増えていく光る眼。最早、ハルパにさえ獣達が集まってきていることが分かるほどだった。だが、どうしたらいいか分からない。このままでは獣達の餌食だ。ンナンは到底逃げられない。
かと言って火を起こしたら、今晩一晩は過ごせても知らせたくない奴らにまで自分達の居場所を知らせてしまう。

「どうしよう。ねえ、どうしよう?」


 ハルパの声を震わせた問いに答えはない。
ンナンは歯を食いしばり、悶えていた。全身に汗が浮き出し、顔も体も真っ赤だ。

「うううぅぅぅっ」


 その声に獣達の唸り声が応え始めた。
血に飢えた喉を震わせ、地面を這って響く低い唸り声。
黒い森そのものが巨大な一匹の獣になったようだ。

                                  

 

 

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