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多くの二本足の種族を育んだ大陸。それと辛うじて地続きになっている世界最大の大陸。
二つの大陸は、南東から北西へ伸びる狭い水路のような海をその境目としている。
北と南の果てで凍りつき、惑星全体で低くなった海面は多くの生き物に様々な影響を及ぼすことになった。
ある生き物がその海峡を渡るために、筏を作るという手段を生んだのもその一つと言えるだろう。
稚拙な筏も子孫達によって更に工夫を凝らされて、やがて同じような海峡を渡る時も、速い流れに翻弄されながらも彼らを運んだはずである。
自らの意思を持っているかのようにうねり、満ちては引き、ささやく波。
海を眺める者の目は、時に恵みを与え、時に命を奪う気紛れなものとして、それを映したかもしれない。
逆に海は朝日や夕日、空によって色まで変えながら、見る者の心を映しただろう。
だが、かつての木々の楽園には、常に生い茂る緑の葉と昼と夜の繰り返しがあるだけだった。
その調和の取れた繰り返しも、五本指の生き物が、同じ姿をした小さいものや大きいものの子供を襲って食うようになった時、失われた。
巧みな連携による襲撃に大きな体を持つもの達ですら、反撃することはできなかった。
彼らは逃げ惑う内に森の奥へ奥へと進み、やがて1本の木にたどり着いた。
何日も飲まず食わずだった彼らが、迷わずその木の実を口に入れたのも無理はない。
だが、飢えを満たして横になった彼らを待っていたのはすさまじい痛みだった。
痛い! 痛い! 熱い! 苦しい! ああ、あの子も痛がっている。
あの子を助けなきゃ。助けて! 誰か! 痛い……!
頭も体も千切れそうに痛くて、うまく動かない。木でも何でもいい。
何かにつかまりたい。
草、草。痛みをとる草。どこ、どこ! 深い森。大きい木。暗い。
どこ……。……。
見ているものがぼやけて、はっきりしなくなっていく。
緑の茂みもあの子の黒っぽい毛もぼんやりと溶けていく。混じっていく。
……あの子は、どこ?
草むらをかき分ける音が聞こえて、歯で枝からこそぎ取った葉をかむのをやめた。
ああ、でもあの音はあの子だ。音で分かる。
体中の痛みも今は大丈夫。あの子もちゃんと歩けている。
あれはずっと昔のこと。
とげのある葉をまた噛み始めると、思ったとおり、あの子が草をかき分けて現れた。
ずっと上を向いていた頭をできる限り下げると、いい匂いのする土のような色をしたあの子の顔が見える。
尾のようにいくつも伸びた頭の毛をいじっている。
ただ、うつむいた顔に元気がなかった。
この子が一緒に居て、うれしそうにしていた二本足の群れがどこかへ行ってしまったからだ。
この子を恐れ、遠ざけようとしたのかもしれない。
でも二本足はいないほうがいい。いつだって何をするか分からない、怪しい生き物だったから。
初めてじゃないけれど、本当はこの子にも近づいて欲しくなかった。
行ってしまったもの達を追いかけたいのか、ふらふらと歩き出す。
後ろをついていくと、見えてきたのは浜辺だった。
当たり前に聞いてきた波音が目の前まで打ち寄せてくる。
あの子がぼんやり見ているのは遥か向こうに見えるもの。
潮の匂いに混じって向こう側の木々の葉の匂いがやってきた。
自分の体の小ささも考えずにあの子が波に入ろうとしている。
身につけた毛皮が濡れてしまうのも気にせずに進もうとする。
こうなるとこの子は目の前のものを見ているはずなのに、何が危険か、安全かわからなくなってしまう。
これも初めてじゃない。そしてまた止めても、何度連れて帰っても同じ事を繰り返すことになる。
足を曲げ短い首を砂に擦り付けるようにして、後ろからあの子の足の間を鼻先で割った。
顔に倒れこんできた体がもがきながら、目の上の一対の角と頭後ろにあるもう一対の角の間に納まるのを待つ。
これでこの子はあの二本足達よりも高いところから周りが見えるだろう。
この子の気持ちの向かう方へ進めば、頭の上で下手に動くこともないはず。
大丈夫。海の渡り方は足が、この体の奥底が知っている。
それに任せればいい。広い河を渡るのと同じ。
頭を高く上げると、蹄で波の下を蹴り、深みへと進んだ。
ねえ、向こうに何が、何が待っているの?