男は傷薬になる草を持ってこようと立ち上がった。
男の影が地面に長く伸びる。その影の中にたたずむようにあの少年が立っていた。
険しい顔で男の向こうの若者をにらんでいる。
その腕から流れる血のにおいから引き離そうとするかのように、男の手をつかむと洞窟へ引っ張っていった。
焚き火の明かりから二人の姿が消えると、若者は血止めをはじめた。
その顔からは痛みも後悔の念も滲み出てはいなかった。
狩りと狩りの合間に一人になる度に、少しずつ彼の体の傷は増えていった。
その血のにおいに誘われてやってきた獣と戦ったことで本物の傷も増えていった。
長の女の言葉に耳も貸さず、彼は自分の体にまさに紋様のような傷を描いていく。
以前一緒だった傷の男のようになっていく彼を精悍になったと感じるものもいれば、少し恐ろしいと感じるものもいた。
日に日に強い狩人になっていく彼と競うように同じ年頃の若者が自らを傷つけ始め、更に幼い子供まで真似るようになってしまった。
そしてついに、いつもは狙わないような大きくて足の速い動物をしとめようとして、彼らの内の一人が逆にその動物に踏み殺されてしまった。
死肉をあさることも食料集めの基本だったが、それを嫌がって無理な狩りをした結果だった。
彼らの行いを以前からよく思っていなかった者たちもついに黙っていられなくなった。
だが狩りだけでなく、牙を持つものから仲間を守るために、他の群れに敗れることがないように、強さを求める者たちは少なくない。
群れは、体に描いた傷の文様で強くなれると信じるものたちと、怪しげな傷を刻んで危険を犯す行為をやめるように望むものたちに分かれてしまった。
言葉を覚えた男は特にどちらを選ぶつもりもなかった。
だが、いつも血のにおいを漂わせているものたちを避けていた少年に手を引かれて自然と長の女たちといることが多くなっていた。
やがて動物たちが移動を始め、辺りの獲物をとり尽くしてしまった頃。
自分の体を傷つけて気性まで荒くなったものたちを嫌って、長の女たちが中心のグループは自分たちだけで日の昇る方へと移動することを決めた。
出発の日。ついてきた仲間を連れて長の女は歩き始めた。
丘の上で振り返ると、あの長身の若者が洞窟のそばにたたずんでいた。
遠くなっていく昨日までの仲間たちを見送っているようにも見えた。
今日か明日にでも、彼らもあの洞窟から新しい狩場を求めて出発するだろう。
今度会えたとき、彼らともう一度助け合えるだろうか。
それとも争うことになるだろうか。
長の女は、男のそばで相変わらず無邪気に弾むように草を踏む少年が少しうらやましく思えた。
<第1話 おわり>
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