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「人

 生まれいずる

               星」

 −第1章−

 <第1話>















































































 男の目は閉じられていたが、その目は昼間よりもさまざまなものを見ていた。
自分と同じ二本足の群れに出会った夜から毎晩のように見ているものだ。今夜も男の耳には遠くから、さらにその遠くから様々なかけ声、悲鳴、笑い声が聞こえてくる。
だが、周りは逆にひっそりと静かだ。男は周りに目を向けてみた。

 そこには寄り添って寝ている女や子供の姿があった。
男は一人もいなく、互いにかばいあうようにしがみついて寝ていた。
ただ一人、大人になる前の少年が消えかけた火のそばに腰を下ろしていた。
やりを地面に突き立てていたが、それにしがみついて眠ってしまっているようだ。

 男は何かを聞いたような気がした。切羽詰った、緊張した声のような何かを。

 それは少年には聞こえないようだ。しかし、一匹の獣がそれに応えるように現れた。
黄色い毛皮に黒いもよう。いつも男のそばにいるヒョウよりも大きく、腹もすかせているような成獣だ。
音も立てず、寝ている少年に近づいていく。
男にどこからか聞こえてくる声はついに泣き声が混じる。
だが、ヒョウですらそれは聞こえないようだ。

 少年が目を覚ます。同時にヒョウが飛びかかった。
声はついに泣き叫ぶ。はげしく、短い戦いが終わると少年は力なく地面に倒れこんだ。
目を覚ました仲間は驚き、少年の首から流れる血を見て、のどの悲鳴を飲み込んだ。
子どもを抱えて後ずさり、手元のやりを投げつける。
ヒョウはためらいながら、来たときと同じように音もなく消えた。
まるで悪夢が暗闇から現れ、また暗闇に溶けてしまったように。

 だが、小さな光の中で、少年が顔を横にして流す血の色だけがはっきりと見えていた。
広がっていく赤い水。それを声もなく見つめて立ち尽くす同じ年くらいの少女がいた。
力が抜けれて崩れると、地面に力なくひざをつき、口からかれた声をしぼり出す。
ほかの人々の悲鳴が周りの景色までもふるわせる。

 ぼやけていく景色が少しずつ光に飲み込まれていく間、うなだれていた少女は血に染まった少年の槍を拾い、握り締めた。
顔を上げると、そこには苦しげな、しかし強い決意を秘めた瞳があった。


 男が目を開くと、たき火の向こうに女が眠っていた。
さっきまで見ていた少女の面差しに似た顔、苦しげな表情も同じ。
投げることもできなかったやりも握りしたまま……。

           


 それからも毎日、彼らは歩き続けた。しかし、女の足は次第に遅くなっていき、途中で休む回数も多くなっていった。
彼女はしばらく前から歯が弱り、もう肉をかみ切ることも木の実のかたいからを割ることもできなくなっていたのだ。
それでも何日も歩き続け、夜も彼らを見張り続ける。

 ヒョウと男を仲間たちから遠ざけること。
それが、弱り始めた彼女が選んだ最後の仕事だった。
しかしそれは、いつしか何も知らない男に様々なことを教えるという仕事に変わっていた。
ひとつ何かを学び、ひとつ何かを知るにつれ、男の目も表情も変わっていった。

 ある日の夕暮れ、二人と一匹は洞くつにたどり着いた。
もうずいぶん前に出発した洞くつとは違う洞くつだ。
女は中に危険なけものがいないことを確かめると、すぐ壁にもたれて座り込んでしまった。

 男は習ったとおりに、そこまで歩きながら拾い集めた枯れ枝で火を起こした。
石器のナイフでやわらかい草を切ると、洞くつの床にしき、そこに女を横にする。
今の彼女にはヒョウや男を警戒する余裕もないようだ。
体の下のその草のにおいを感じながら、女は考えていた。
自分はあとどれくらい生きられるだろうかと。

 仲間をヒョウから守りたくて、自分から男とヒョウを連れ出して以前使っていた洞くつまで来た。
自分が出て行ったら仲間たちもすぐ出発して、次の狩場へ向かうことになっていた。
もうこの男とヒョウが追いつくことはできないはずだ。
だが、自分が死んだら、この男はどうなるのだろう。
またヒョウに養ってもらうのだろうか。自分が教えたたくさんの知恵も、言葉も意味のないものになるのだろうか。
自分が命の終わりに教え伝えたものは、次の誰かに伝えられることはないのだろうか。

 次の日になっても彼女は起き上がることができなかった。
力なく横になったまま、ぐったりしていた。いつもだったら、彼女は気づいたかもしれない。
日の光が届かない洞窟の奥から一匹の小さいサソリが這い進んできたことに。

 男は小さいうめき声を聞いた。近くによると、女が片腕を押さえて体を折り曲げていた。
見ると腕に小さい傷があった。女は男に言って皮ひもで傷口の上をきつくしばらせた。
それから何度も自分で傷口から毒を吸い出して、吐き捨てる。
 「ここに来る時、崖の途中に草があった。この間教えた毒消しの草だ。それを急いでつんできてくれ」
 女はそれだけ言うとやりを握り締めて動きを止めた。
動けば動くほど、早く毒が体中に回ってしまう。女は一本しかない槍を見つめ、男に渡すべきか、迷った。
しかし洞くつの入り口で光るヒョウの目を見てやめた。
彼には何より強いものがそばにいる。
 男が洞くつを出て行くと、ヒョウが当然のようについていく。
空は日が傾き始めている。男は体を低くして走り出した。
辺りに目を配り、耳を澄ましながら足は止めない。
周りを気にもせず、ただ草原を歩いていた頃とはまるで違う動きだ。

 
 
 

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