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「人

 生まれいずる

               星」

 −第1章− 

 <第5話>
















































































初めて聞いたセウェの必死の声。初めて見た恐ろしい表情。

本当は振り返って何が起きているのか見たい。
次はどこに岩が飛んでくるのか確かめたい。
だが、タナウはその思いを振り切るように足に力を込めた。
ワムギのほうはただ無我夢中で走っていた。


 その黒い果物こうもりはたまに見る生き物で、鳥たちとは様子が違っていたが、確かに川者たちに力を貸してくれる「羽を持つもの」だった。
巧みに羽をひらめかせて、右へ左へ三人を蛇行しながら先導する。張り出した崖の向こうに回りこんでも羽を休ませず、更に遠くの崖に向かって羽ばたいた。


 海者たちはあの浜辺で隠れたまま、誰一人ここまで来なかったようだ。
岩壁に阻まれて噴煙が見えないところまで来ると、果物こうもりはすいっと上昇した。
セウェは息を整えると足元の岩に手をかけた。
どうやらこうもりを追いかけて登る気らしい。少年たちもそれに続く。


 子供達が崖を上るまでの間にセウェは息を整える。
目は変わり果てた火の山にじっと吸い寄せられる。
立ち上っていた何本もの煙は今や一本の巨大な木のように青空を覆おうとしていた。
その幹も根元の山を翳らせるほど太くなる。
前触れも、音もなくずるりとその幹が、崩れた。


 成長した煙の巨木は自らの重みに力尽きて崩れ続け、火砕流へと変わった。
坂を転げ落ちる石が立てているような煙は、だが近くで見れば驚く大きさだろう。
山の斜面を撫でるように滑り降り、次第に更に大きく膨れ上がって全てを飲み込んでいく。
目を見張る光景の中で音だけが穏やかで、思わず見入ってしまう。
しかし、セウェは自分の中の乱れ打つ音が何かの悲鳴にかき消されるような気がした。

「……走れ!」セウェの短く鋭い一声に少年たちは我に帰る。
また走り出すと待っていたようにこうもりが前を行く。


 地を這う黒い煙は川をなぞり両岸の森の残骸を包み込み、とどまることなく浜辺を、一瞬で立ちすくむ海者たちごと覆い尽くした。逃げることを忘れて見入っていた年寄りも小さい子どももたくましい若者も分け隔てなく。
その流れの勢いは海にまで広がり、セウェたちが登った高い崖にぶつかると上に向かってわずかに這い上がりながら横へ横へと伸びていった。


 足が重くなり、息が切れ、速さを失ってもセウェはなかなか止まれとは言わなかった。
こうもりも少しでも高い所へ行こうと上り坂のほうへと三人を導いていく。
やがてこうもりが木の枝にぶら下がって羽を休めると、ふらふらになって倒れこんだ。
少年たちも地面に手をつき、体を横たえる。


 気がつくとはだしの足の裏はケガをしていて、体のあちこちも傷だらけだった。
振り乱した髪は砂がこびりつき、埃まみれの肌に汗の跡がついている。


 まだ夕日には早いのに辺りは薄暗くなっていて、空はほとんど煙の色に染まっている。
タナウが恐る恐る首をねじって振り向くと、はるか先に変わり果てた山と未だに止まらない煙が見えた。
目の前で見た恐ろしい光景が目蓋の裏によみがえる。他の人たちはどうなっただろう。
今更ながらぞっとして震えが来た。
自分の面倒を見てくれた仲間たちやワムギの仲間たち。鳥石を渡した少女とその姉も。
もうすぐ子供が生まれると言っていたのに、海者たちのようにあの煙に飲み込まれてしまったのだろうか。


「父さん……、川者のみんなは……あの山者と海者は……」


 恐ろしくて最後まで聞けない。セウェはゆっくり振り向くと、ぼそりと言った。


「あの煙に巻き込まれたら、もう助からない……」


 タナウはワムギの顔を見た。目だけを動かしてこちらを見ている。
彼がはっきり言葉を理解できなくてよかった。
とても伝えることなどできなかった。つい昨日まで自分たちを導いてくれていた精霊達の宿る山がこんなことになるなんて誰が思っただろう。いや、一人だけいる。
タナウはもう一度セウェを見たが、父は突っ伏して顔を上げなかった。


 三人がやっと身を起こせるようになると、待っていたかのように白いものが降り始めた。火の山の近くに住むものなら誰もが見慣れている白い灰だ。
だがその勢いはいつもの比ではない。
たちまち辺り一面に降り積もり、鮮やかな色を失わせていく。
セウェ達は灰を凌げる場所を求めてまだ無事な木立へ分け入らねばならなかった。



 

 この日から一帯は太陽が顔を出さない天気が続いた。
空は常にくもり、日に日に涼しくなっていく。
鳥や獣達が逃げ去った森はがらんとして寂しげで、積もった灰が黒い雨に流されても、まるで生気は戻ってこなかった。
動くものと言えばずっとついてきているこうもりだけだ。
「羽を持つもの」はまだ自分達を見捨てていない。
それを支えにしながら、武器も道具も置いてきてしまった三人は仕方なく果物や掘り出したヤムイモで当座の空腹をしのいだ。

もともと川者は獲物が沢山いる所に住む山者や、魚が沢山とれる所に住む海者たちの間を取り持って暮らしてきた。
自分達の力で調達できる食料はいつもに比べ乏しいのは仕方ない。
川を離れてしまった川者ほど惨めなものはなかった。

しかしここに川があっても上流にも下流にも誰もいなければ意味がない。それでも小さい子供や年寄りがいないだけ、何とか飢えずにすんでいた。


 もっと大変だったのはワムギをごまかすことだったかもしれない。
セウェもタナウも本当のことを告げることはできずにいたのだ。
仲間達は先に逃げて、彼の姉もそこにいるはずだと言い聞かせて、何度も見る影もなくなった住処へ帰ろうとするのを押しとどめる。
例え親友がそばにいても家族や群れを思う気持ちは同じだった。

二人にしても自分たちの目で仲間たちの最後を見たわけではないのだから、どこかでそれを祈る気持ちがあったかもしれない。
全員無事とは言わなくても、数人でも同じように火の山の異常に気づいて逃げているかもしれない。そう願って時折木に登っては仲間の焚き火の煙を探すのだが、崩れた火の山を中心に一帯から昇る煙のほかに、それらしきものは見当たらなかった。

 

 

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