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「人

 生まれいずる

               星」

 −第1章− 

 <第5話>















































































 

「父さん、風もないのに木の葉が動いてるよ」

「何か獣がいるんじゃないか」

「ううん、川の周りの木全部の葉が揺れてるんだ」

 顔を上げると凪いだ空気の中で、確かに小刻みに微かな揺れを見せている。
風だとしてもあんなに細かく動くだろうか。

「木が震えている?」

「いや、大地が震えているんだな……」


 火の山の間を移り住んできたここの者たちにとって『大地の震え』は驚くことではなかった。だが、セウェの不安は益々強くなっていく。


 蛇のように大きくくねって流れる川の上。
震える緑に送られ、また迎えられるのも短い間だった。邪魔なものがなくなって開けていく視界に今度は本当に風が吹き始める。
下流から吹いてくる風は川が広がるほどに強くなる。いつもそれは日が傾くまで続く。

 

今が雨の季節ならよかったのに。セウェは顔を曇らせた。
この辺では雨の季節と言っても一日中降り続けることはない。
それでも雨で川の水が増えれば、早くなった流れに乗ってそれだけすぐに海に着けるのだ。

それにこの川に大きなワニがいなければ。川幅が広くなって夜の間も下ろうと思えば下れるのだ。だが松明で照らせる水面はほんの周りだけ。子どもたちを危険には晒せない。


 いっそ積荷を捨てて軽くしようか、とも考えた。

だが、そんなことをしたら海者たちは山者や川者たちに腹を立ててしまうだろう。一見穏やかに見える今の山、川、海の者たちの関係は実は危ういものなのだ。

特に危険な所で、両方の群れから食べ物を分けてもらっている川者の暮らしは、もともと山や海を追われた者たちが選んだ生き方なのだから。

今は少しでも早くこの不安が間違いだったと思いたかった。

 


 次の朝、太陽と競うようにセウェは早く起きた。
冷静でいようと努めていたが、やはりどこか気が急いていたのだろう。子供たちに言われなければ朝の儀式を忘れてしまうところだった。


 集中しすぎても気を散らしすぎても水の世界と心を通わすことはできない。まさに流れに任せるような穏やかな心が儀式には必要だ。

そうとわかっていても手足の先にまで微かな不安が伝わるのか、直針に(あかし)の魚がかかるまで、随分時間がかかってしまう。


 タナウは頭のいい少年だったし、ワムギは彼の仲間もそうであるように相手の仕草やちょっとした変化で感情を察するのが上手い。
二人はセウェの様子に少し顔を見合わせた。


 儀式にかかった時間を取り戻すようにセウェは竹筏の上で棹を握る手に力を込めた。目指す海はすぐそこだ。どこか生臭いような昼の海風が吹いてくる頃には一風変わった木々に囲まれていた。「手の木」と呼ばれるそれは指を開いた手をそっと水に入れたような形をしていて、海の近くの川にしか生えない。

 ここまで来ればワニの危険はかなり少なくなる。


 視界が開け河口が見えてくると同時に川面の揺れが大きくなる。
ちょうど海が満ちてきたのだろう。荷物を押さえながら手の木をよけて、砂浜に辿りつく。


 辺りは静かで波の音が聞こえるばかりだ。決して静まることなく盛り上がり打ち寄せる海面の動き。それにつれて光が跳ね返り、まぶしさに三人は目を細めた。


 不意にワムギの耳がピクリと動く。その目が向いた方に耳を澄ますと、波音に混じって人々のざわめきが聞こえてきた。

「みんな向こうで漁をしてるんだな。様子を見てこよう」

 セウェとタナウはワムギを見張りに残すと、声のするほうに歩き出した。
タナウは慣れた土とは違う熱せられた砂の感触に跳ねるように進む。
こんなにも広い空を見たのは初めてだ。少年はさえぎる物がないその光景に心細いような、それでいて伸び伸びとした気持ちになった。


 浜辺には一度漁から戻ってきたらしい流木で作った筏が集まっていた。
竹で作った乗り物しか知らないタナウは興味津々で足を速めた。
海者たちの姿も見える。山者たちは体を山の獣のように彩っていたが、海者たちの肌には海の生き物や波の模様が刻まれている。
他の筏にその日の
釣果()を載せたまま、彼らは一つの筏に集まっていた。
いつもなら陽気な海者にしては、皆不穏な表情を浮かべている。
しわがれ、緊張した声がその空気を震わせた


「皆、今日の漁はやめじゃ! 今、この海には魔物が集まっておる!」


 長老の声に一瞬静まったが、すぐに新たなどよめきが起こる。
身を乗り出すものもいれば、顔を背けるものもいる。
その視線を追って、川者二人は息を飲んだ。


 皆が取り囲んだ筏の上には異質な生き物が何匹も転がっていた。
魚と言っていいのだろうか。肉のまるでついていない骨に薄い皮が張り付いただけの体は透き通るように白い。頭の端から端まで裂けた口には鋭い歯が並び、何より不気味なのはその目だ。頭に不釣合いなほど大きく飛び出している。
かと思うと別のものは目と思しきものがなく、細く長い毛を伸ばしている。
体全体をぬるぬるしたもので覆われたものが苦しそうにうごめいている。


 普段、山の幸と交換している海の幸とは明らかに違う生き物たち。


 ああ、やはり……。セウェは足元がわずかにゆらぐのを感じた。
獣たちが減り、鳥たちが消え、月が血の色に染まり、異形の魚が現れた。
もう間違いない。……だが、どうしたらいい?
群れの長でもない自分には群れの移動を命じるようなことはできない。


 もう間に合わないかもしれないが、二つの群れを行き来する川者としてなら。


 下手に殺すのも恐ろしいので、皆は魔物の魚を海に戻そうと筏ごと波打ち際におしやる。網から出されぬまま異形の魚を海へ帰すと、やっとセウェたちに気づいたようだ。


 

 

 

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