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「人

 生まれいずる

               星」

 −第1章− 

 <第4話>














































































































 誰かが川を渡るような水音。でも何もいない。雨? ううん、雨じゃない。
音と一緒に川下のほうから、流れを小さく砕くものが近づいてくるのが見えた。
一つや二つじゃない。見る見る増えていく。鳥の水浴びにしては多すぎる。
少しずつ近づいて見て、二人で息を飲んだ。


 久しく見たことがないほど沢山の魚が川下からさかのぼってきている。


 何かに追われているのかと目を凝らしても、辺りには見慣れた景色が広がっているばかり。
なんだか夢を見ているよう。それもとてもいい夢を。

「おばさん、ここで見張っていて! 皆を、長を呼んでくる!」

 狩りでも漁でも大事なのは機会を逃さないことだ。
走って知らせに行くと、皆はすぐに川へ駆けつけ漁を始めた。
こんなに川に活気が戻ったのは久しぶり。

獲っても、獲っても下流から次々にやってくる。
最初は驚き喜んでいた皆も、その初めて見るすごさに途中からしきりに不思議がっていた。
もっと不思議だったのは大人たちが
「これは海で獲れる魚だ」と言ったこと。
小さい頃、母さんが生きていた頃に住んでいた海。
記憶はぼんやりしているけれど、そこから来たんだと思うと、なおさら普通の魚とは思えなかった。

           

 とれた魚の大半を保存食にしようとさばいて腸を出す作業を総出で行った。
長いこと使っていなかった網が破れてしまいそうになる頃、漁は一旦打ち切られた。

 

 その夜焚き火を囲んで、皆は賑やかな時間を楽しんだ。
充実した疲れを感じながら、新鮮な魚の肉を頬張っていると改めて考えてしまう。


 この魚はどこから来たんだろう。どうして今、こんなに都合よく助けの手を伸べるようにやって来てくれたんだろう。
アミュタが消えていなくなった後で……。もう少し早く上って来ていたら、あんな狩りはしなくてすんだのに。
そしたら、アミュタもいなくならずに済んだかもしれない……。


 何かに引かれるように顔を上げると、同じように考え込んでいる長の横顔があった。
もしかして同じことを考えている?


 長も口の中のものを飲み込むとこちらを見た。
周りの賑やかさが耳に届かなくなる。

 アミュタは消えた。川の中で。そして突然やってきた、沢山の海の魚たち。


 アミュタは川の精霊に運ばれて、海へ連れて行かれたのかもしれない。
そして海の中から、アミュタは食べ物として、あたしたちに魚たちを寄越してくれたのかもしれない。
昔、魚がいなくなってしまった海も、今はもうそうではないと知らせてくれたんだ。


 ずっと頭の中に「どうして?」があった。長との間で言葉になったその答えが仲間に広まるまで長い時間はかからなかった。
いつしかその恵みの魚は「アミュタの魚」という新しい名前で呼ばれるようになった。


 思い出の海。今はアミュタがいる海。沢山の魚たちが戻ってきた海。


 帰りたい、海へ。帰ろう、海へ。


 不思議な出来事と大人たちの海への想いに導かれて、数日後荷物をなるべく少なくまとめて川を下ることが決まった。


 

 先祖が海を渡るときは流木で作った筏を使ったそうだ。
でも流れに逆らって川上へ行くには、槍や棒で川底を押しても筏じゃ進みが悪い。
それに移動の度に筏を手で川上へ持っていくことはできない。
だから今は手に入れやすい葦を大量に干して、それを束ねた舟を使っている。
食料に余裕がある今のうちに葦舟で下れば、さかのぼる時と違って楽に海へ着ける筈。
次々に岸を離れる舟から、誰からともなく歌声が聞こえ始めた。


 それは先祖たちが海を渡るときに、それまで慣れ親しんだ陸地と別れを惜しんだと伝えられている歌だ。


 だけどその時、その歌には懐かしいものに会いに行く喜びと期待が満ちているような気がした。



 川を下り始めると、葦舟の上からも上ってくる「アミュタの魚」達が見えた。
その夜はまだ見覚えのある景色の中で休むことになった。
随分前に魚が取れなくなるまで過ごしていた場所だ。
日暮れ前に先に岸に上がっていた仲間たちが準備した火とねぐらで、全員が一日舟で揺られた疲れを取る。


 身を寄せ合って横になり、目をつぶった。


 閉じたまぶたの裏に川の波のきらめきがよみがえる。
青から緑に変わり始めた川が所々、赤や黄色に点滅している。
ああ、そうか。これは夢なんだ。それも自分が川の真ん中に浮かんでいる夢。
夜空の下で水面に時折生まれる波紋を流れが押し流していく。
その流れのずっと先に。


 腰から下を水に浸したアミュタがいた。

「アミュタ……」

 アミュタは両手で川の水をすくい上げ、そのままこちらに向かって差し出した。こぼれていく幾つもの水滴は水面に触れた瞬間、あの魚に姿を変えた。
魚たちは鱗をきらめかせながら、流れに逆らい、やがて大群になってこちらの上流へ向かい始めた。


 遠くのアミュタに呼びかけようとして、不意に気づく。
……誰かが、見ている?


 自分とアミュタと魚たちと、それ以外の誰かの気配。
こちらを狙うような獣の目でも、逃げようと機会を伺う獣の目でもない。
じっとこちらに向けられた眼差しには、愛しさも怒りも恐れもない。
だからこそ、得体の知れない妙な気分になる。

「だれ……?!」

 

 

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